コンセプト詳細

きっかけ

はじめは,「江戸時代の人たちと同じ道を旅してみたい」「江戸の庶民たちは,この道を歩きながら何を思ったのだろう?と考えながら歩いたら,きっと楽しいだろう」といった,漠然としたあこがれから東海道ウォーキングを計画し始めたのです。

ところが「東海道53次 ウォーキング」「東海道53次 歩く」などのキーワードで検索してみると,「昔の人は健脚で1日40㎞歩いたが,デスクワークばかりの現代人にはとても無理」という断言や,「足が死んだ」「もう一歩も歩けない」といった体験談ばかりが目につく。(すみません。批判してるわけじゃないんです。)そこで「本当にそうなのか?」「1日40㎞というのは不可能な数値なのか?」「江戸時代の人たちにはできたけど,我々現代人には無理なのか?」という疑問がかま首をもたげてきました。

生来の負けず嫌い。「無理なのか?」という疑問文の形はしていても,その裏では「無理なはずはない」という無根拠な反語的勝算を勝手に予感していました。そして,何はともあれ,思い立ったらやらずにいられない。週に1~2回,休日に練習を繰り返し,やがて「予感」は「確信」に変わっていったのです。「これならいける」と。

(1周目の)方針

本番が迫る中,いくつかの方針が自分の中で固まってきました。

 ・絶対安全第一

この旅の最大の敵は大型車両だろうと考えました。「箱根八里は2日で越すが 越すに越されぬ大型車」だろうと。実際,東海道を旅していて危険な目に遭った人の話をいくつも読みました。旅行は趣味でありレジャーですから,その遊びで人生を棒に振ったのではたまりません。ですから絶対安全第一。「迂回が必要なら迂回する」「極力路側帯を避けて歩道を探す」「無理な横断をしない」といったことを自らに課しました。東海道53次の道路事情については,別メニューで詳しく書きます。

・全行程徒歩

これだけはこだわりたかったのです。そして結局,「七里の渡し」も含め,お江戸日本橋から京都三条大橋まで,すべて歩きました。

・目標は計13日間での踏破

いろいろな資料を読むと,「昔の人は13~14日で歩いた」「14~15日で歩いた」「約2週間で歩いた」等の数字が見られます。それでつい,これらの日数の中の最小値「13日」をターゲットにしたくなったのです。はじめは「13日はちょっと厳しいかな」「14日はかかるかな」と思っていたのですが,関東phaseが終わった時点で「13日でいけそうやん」となり,東海phaseが終わった時点ではもう余裕でした。

ただし,仕事をかかえる身では,残念ながら「13日間連続」は無理だったのです。どなたかうちのbossにかけ合って,2週間の有給休暇を取らせてくれれば,いつでもチャレンジしたいのですが。というわけで,旅程を3つに区切ることにしました。

関東phase(4/1~4/6の6日間) 日本橋~掛川駅
東海phase(4/16~4/17の2日間) 掛川駅~名電赤坂駅
近畿phase(4/30~5/4の5日間) 名電赤坂駅~三条大橋

うちの業種は少々特殊なので,この時期このような休暇が取れました。また,「関東phase」「東海phase」「近畿phase」という名称は,各地方の領域と全然合致していないわけですが,いきおいでこのように付けてしまいました。これで6+2+5=13日間。これで次善とする以外にありませんでした。

・旧街道にはこだわらない。

第1に,精密・正確に旧街道を辿ることは不可能だと思ったのです。消失しているところや分からなくなっているところもあるだろうと。

第2に,「歩道の整備が進んでいる国道1号と比べ,旧街道は史跡等を残すために道幅を広げられず,場所によっては狭い路側帯を歩くことになってかえって危険」というような情報を読んだ記憶があったのです。結果的に,私が歩いた範囲ではこのようなことは特になかったのですが,旅立ちの時点では「旧街道にはこだわらない方が安全」と思っていました。

第3に,特に街道前半(日本橋~袋井宿)は,旧街道にこだわっている心理的な余裕がなかったことを白状します。とにかく次の宿泊地に早く確実に着きたい一心で,意図してスルーした宿場(沼津・原)もあれば,意図せずにスルーしていた宿場(神奈川・大磯)もありました。また,薩埵峠まで無視したのは,人によっては大減点の評価をされてしまうかもしれません。このサイトを,当初「だいたい踏破の旅」などとビミョーな言い方をしていたのは,この辺りの事情によります。