江戸の民vs現代人

人は言う。「昔の箱根路は足場が悪かった」「昔は草鞋で歩いたんだぞ」と。だから「昔の人は健脚である」「昔の人はすごい」と。現代の日本人は(なのか,昔から日本人は,なのか分かりませんが),とにかく徹底的に自虐思考ですから,懐古趣味・尚古主義と相まって,「昔の人は偉かった」思想の方々の思考をくつがえすことは,まずできません。躍起になって客観的反証を集めようとしても,詮無きことです。ゆえに,以下の考察は放言・独り言であって,議論・反論ではありません。根拠薄弱な随筆です(自虐)。

現代人の方が有利な点

・やたらと便利な旅装

速乾性シャツとかコンバーチブルトレッキングパンツとか5本指靴下とかゴアテックス素材とか・・・・・。極めつきはやはり,クッション性抜群のジョギングシューズ。江戸の民からすれば,夢のような代物です。

コンビニや飲食チェーン店

大人から子供まで,気軽に入れる庶民の味方。街道ウォーカーにとっても重要ポイントです。営業時間が長いことも画期的で,24時間営業など,江戸時代では考えられないことだったに違いありません。

スマホナビ

これは江戸時代どころか昭和の頃にもなかったわけですが,お蔭で「迷子」も「道間違えたー!」もほとんどなくなりました。それなりに使いこなしは必要ですが,とにかく至便であること,疑う余地もありません。

江戸の民の方が有利な点

・軽装

江戸の民の旅装束が重量級だったとは到底思えません。あの肩から前後に振り分けた柳行李が1個あたり4㎏とか5㎏とか???いや,それじゃ間の紐が千切れるでしょ。笑 だいたい彼らは着替えを持ち歩きませんでした。基本,着の身着のままです。また,2本差してるお武家さんは大変だったかもしれませんが,庶民はコンパクトな道中差か,もしかしてヤジキタみたいにこけおどしの竹光か。助さん格さんも軽装ですが,越後のちりめん問屋のご隠居やお供の女性にいたっては杖1本?!風車の旦那なんざ手ぶらですぜ手ぶら!

・徒歩旅行者のための道と町

歩行者が主役の街道が江戸から京都まで通じていたわけで,10トントラックにおびやかされるようなことはありませんでした。宿場を通りかかるたびに留め女の声がかしましいほどだったし,街道筋は行き交う旅人でにぎわっていた。アスファルトの上を,ただ1人トボトボ歩かなければならない現代の街道ウォーカーの姿を江戸の民に見せたら,「今(江戸時代)の方がずっといい」と言うかもしれません。

・馬や駕籠

昔の人は,徒歩に「こだわる」必要なんかありませんでしたから,疲れていて小銭があれば,馬や駕籠を利用したことでしょう。ヤジキタの2人も,「〇〇宿まで戻るところだから安くしとくよー」とか言われて,かなり頻繁に使っています。また,水上交通(七里の渡し,今切の渡し,各地の川越え)は歩かなかったわけです。

結句

私は,江戸の民よりも現代人の方がすごいなどと言うつもりはありません。江戸時代における東海道53次の旅よりも,現代におけるそれの方が大変だとも言いません。

私は,500㎞の道のりを歩き通すことのささやかな価値と楽しさは,今も昔も変わらないと思います。人間の基本性能や内面は,たかだか数百年で有意に変わらない。自虐一辺倒の愚かさは,現代文明礼讃の愚かさと完全に等価です。であるならば,双方を蔑むよりも,双方をたたえる方がずっと気分がいい。けだし,彼我の懸隔・相違をあげつらうより,底流する普遍性に思いを馳せる方がいくばくか有意義なのではありませんか?

昔の人もやるもんだ。街道筋に松並木なんて,カッコいいにもほどがある。でも現代人だって捨てたもんじゃない。東京から京都まで2時間ちょっとで行けるのに,物好きにも2週間かけて歩いている。箱根西坂から見る富士山や,庄野辺りの景色は,きっと今も昔もそれほど変わらない。江戸時代の人々は,この景色を見ながらどんなことを考えていただろう。そしてホテルに着いたら,まず風呂に入って,それから一杯ひっかけて,晩御飯を食べて。あれ?ヤジキタと同じことやってる。そりゃそうさ。同じ人間なんだから。